子供の姿は大人が作り出すだけじゃない!―目には見えない「生活の力」―前編


公立保育園で勤務し、現在は”子育てアドバイザー”として、子育てについての執筆や監修、講演、保育研修などの仕事をされている、子育てアドバイザーの須賀義一(すがよしかず)さんのコラムです。
本来、保育の最も大切なところは「日常生活」にあり、日々の生活を無難にこなすことが一義的な保育施設の存在理由でした。しかし現代の家庭のあり方は複雑になり、援助の必要な子供が今の時代は増え続けて保育園に求められるものも大きくなってきています。今回は子供への幅広い視点や力量を培っていき、子供の生活の力を育むためのお話をしたいと思います。
現代の家庭のかたちからみる保育園のあり方
園によっては、とても行事に力を入れていたり一斉保育ばかり重視したり、というところがあります。
保育園はその地域の子育て観や家庭のあり方に左右されることもあるので、必ずしもそれが悪いというわけではありませんが、時代の流れとしてはそこにばかり力を入れているのは危うさがあると感じます。
なぜなら現代では、家庭のかたちが多様になり、家庭や地域の持つ養育力が低くなって子育ての安定度が減少する傾向にあるからです。
例えば、ある行事を成功させるために叱咤激励されて頑張らせることが可能な子供たちだけならばそれもまだよいですが、家庭での養育力の低さや、なんらかの問題を引きずったまま園に来ている子がいたりすると、その子はそういった行事や一斉保育などのために頑張らされることを受け入れられない状態にあるかもしれません。
これはケースによるものなので一概には言えませんが、場合によってはその子はそこで否定をたくさん積み重ねられたり、疎外感を持たされたり、その子にとって必要でないことにしぶしぶ付き合わされているだけといったことになりかねません。
子供に対するケアの意識の重要性
では具体的にはどんな子がそれに該当するでしょうか?
例えばネグレクトされている子や、家庭で習い事や勉強・親にとっての「いい子」でいることを要求されているなど過剰な負荷をすでにかけられてしまっている子、親子関係の難しさによって他者への信頼感をまだ上手に持てなくなっている子などです。
仕事上、僕は色々なところの保育を見る機会があります。たしかにそういった根深い問題を抱えた子がいなくて、それなりに頑張りを要求される行事などができてしまっているという園もあります。
「それなら問題ないじゃない」と思われるかもしれませんが、僕は「もしこの園に来年度にでもそういった子が入ってきたときに、その子に適切なケアをこの園はしてあげることができるのかな?」と少し心配になってしまいます。
保育士は「それが当たり前」と無意識に思って続けてきたことを、そうそう簡単に方向転換はできないことが多いです。
もし、そういった子に行事を達成することや、他の子と同じように行動することを要求し続けていくと、その子はたくさん「否定」を積み重ねられることになりかねません。
本来、保育園はそのような成長のための諸条件が整っていない子ほど援助の手をあつくしなければならないのに、逆に「落ちこぼれ」を作り出すことになるかもしれないのです。
変わりつつある現代保育
本来、保育の最も大切なところは「日常生活」にあります。
日々の生活を無難にこなすことが一義的な保育施設の存在理由なのです。
しかし、かつては家庭での養育力が高かったことから、その一義的な部分よりも、二義的な行事や目に見える形で成果を出す一斉保育を中心にすることでも保育が成り立ってしまいました。
でも、もはやそうではなくなりつつあります。
ここに現代の保育で考えるべき転換点があります。
大人の満足にとらわれない
僕は、いまいちど子供の生活において培われる経験を再認識するべきだと考えています。
行事や一斉保育などの結果が見えやすいものは、大人の満足度が高いです。
しかし、それがあまりに一人歩きしてしまうと、「子供のための保育」がいつの間にか、「園や保育士や親を喜ばせるための保育」になってしまいかねません。
行事に熱心な園の職員からときどき耳にするところでは、幼児や年長クラスの担任はとても大きなプレッシャーを抱えていて、なんとか行事などを達成しても喜ぶのは理事長・園長で担任と子供はもうヘトヘト。そして保育士たちはみんな心の中では「年長の担任はしたくない」と思っていることも…。
場合によっては、園に通わせる保護者からの声で、普段から行事のための厳しい練習をさせられて、その反動で家ではイライラやぐずりとして出てしまい、「行事が成功して一番満足そうなのは園の先生たちです。親である私たちや子供にしわ寄せが来ていることに気がついてもいないみたいです」なんていう言葉も聞きます。
大人は一度「○○をさせねば」と子供に望むと、そこに当てはまらない子を許容的に見ることは難しくなります。
いくら頭の中や言葉としては「私は子供の多様な個性を尊重します」と言ったところで、心の方までそれに合わせることは簡単ではありません。
望んでいる姿にならない子供に対して、もやもや・イライラを人の心は感じてしまうものです。この点を理解して保育の方向性を見定めないと、本当に援助が必要な子ほど保育士は肯定的に見られなくなってしまいます。
行事や一斉保育にとらわれてしまうと、知らず知らずのうちに、保育がそのようになりやすいのです。
日々の何気ない積み重ねにある子供の成長
結果がはっきりと目に見えるもの、またその結果が大人の働きかけによることがわかりやすいものは保育士としても満足感が得られやすいです。
しかし、子供の経験はそういった目に見えやすいものばかりではありません。
むしろ、日々の何気ない積み重ねにこそ子供の成長の核になるものが詰まっています。
日々の生活が安定しており、安心感を持って過ごせる、慣れ親しんだ環境で信頼する大人に見守られて日々のことをこなしていくこと。なにができるというわけではなくとも、保育園に行くのが楽しいと思えること。
そのようなことが実は保育の基礎としてあるのです。
しかし、それは目に見えないことも多く、ともすると忘れられがちです。
行事ばかりを重視している園では、年長や幼児ばかりが職員の関心の対象であって乳児に対してはおざなり(当事者はそう思っていないことも多いですが・・・)といったことも少なくありません。
例えば、幼児クラスの行事を、興味もないしまだ見て楽しめる発達段階に来ていない子たちにすら、きちんと座って見ることをしつこく要求していたり・・・・・・。
保育園で考えてほしい「生活の力」
子供の力の基礎は日々の生活の中にあります。派手な成果を出せることが必ずしも保育の成功とは言えません。僕はそれを「生活の力」と呼んでいます。
そして、これからの時代はそこを整えることがより重要になってくることを認識しておいて欲しいと思います。
また、この視点は幼保一体型の「こども園」が増えていることからも、今後配慮しなければならない点であることも付け足しておきます。
次回は、「生活の力」とはなにを意味するのかをお伝えしたいと思います。
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