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保育は二階建ての家―目には見えない「生活の力」―後編

公立保育園で勤務し、現在は”子育てアドバイザー”として、子育てについての執筆や監修、講演、保育研修などの仕事をされている、子育てアドバイザーの須賀義一(すがよしかず)さんのコラムです。

本来、保育の最も大切なところは「日常生活」にあり、日々の生活を無難にこなすことが一義的な保育施設の存在理由でした。しかし現代の家庭のあり方は複雑になり、援助の必要な子供が今の時代は増え続けて保育園に求められるものも大きくなってきています。
今回は子供への幅広い視点や力量を培っていき、子供の生活の力を育むためのお話の後編をお送りします。

前編:子供の姿は大人が作り出すだけじゃない!―目には見えない「生活の力」―前編

保育は二階建ての家


保育は二階建ての家に例えて考えられます。
その一階部分は食事をしたり、昼寝をしたり、清潔にしたりなどの日々の生活と健康をつかさどるところです。また日常的な遊びの時間などもそれに含めて考えられるでしょう。
それが保育の基本ですね。こちらは保育施設に来なくても家庭でも行われていることです。
この部分が一階です。

では二階とはなんでしょう?
普段の生活、家庭にはないいかにも施設的なものも保育園では行われています。
例えば行事やみんなで歌を歌ったり楽器を演奏したり、制作物を作ったりなど。
これらは家庭ではない部分です。
そういったことが保育園における二階部分だと言えます。

前編では、そのような制作や行事などの一斉保育的なことが必ずしも保育のすべてではないということを述べました。
そういったことが悪いわけではありませんが、これらは目に見える結果となりやすいためにこの二階部分の活動ばかりを立派にすることが「保育なのだ」という理解での保育が考えられている向きがあります。かつてはそれが保育の主流を占めていたといっても言い過ぎではないでしょう。

現代では、ここばかりを保育の中心にしてしまうと、保育そのものが適切に機能しなくなる時代にすでになっています。

子供の姿は大人が作り上げるもの?

なにかカリキュラムや子供のあるべき姿を設定して、それを習得させるといったプロセスでのアプローチを子育てや保育と考えてしまうことは、子育てする人の大変おちいりやすいところです。

例えば、「トイレットトレーニングを施すことでおむつを外す」とか、「集団で座って話を聞けない子に繰り返し注意をすることでそれができるようにする」など。
大人は無意識に子供にそのような「できること」を目指して「型にはめる」アプローチをしがちです。

そのように子育てや保育をする人の気持ちの根底には、「子供の姿は大人が作り上げるもの」という感覚があることがわかります。
これが無意識に子供へのアプローチに影響を与えていきます。
その結果、過保護・過干渉、管理や支配としての保育を生み出す元となります。

それがために、いくら言葉で「子供の自主性や主体性が大事」と言おうとも、なかなかそれが実践に至っていることは多くありません。

この子供への見方を乗り越えることが保育士の専門性の第一歩であると僕は考えています。

では、子供の姿を「大人が作り上げる」のでなかったら、子供はどのようにして伸びていくのでしょうか?
ここが前回からのテーマである「生活の力」に結びつきます。

「生活の力」

子供の姿は大人のアプローチが作り出すものばかりではありません。
それが全くないとは言いませんが、その他にもたくさんの要素があります。

例えば、友達関係やそういった他者と一緒に過ごす社会的な空間がその子の成長を押し上げていくウエイトはとても大きいです。
極端に言えば、保育士が直接的になにかを子供たちに施さなかったとしてすら、子供たちは日々の生活、環境、経験の中でたくさんのことを獲得し成長していきます。

また、時間の経過つまり年齢的な成長によって可能になることもたくさんあります。
この点は「大人が○○をできるようにしなければ」という気持ちでいる人は見過ごしやすくなります。
子供の個性によっては、時間の経過なしにはできない場合だってたくさんあります。

このとき「大人が子供を○○させる」という意識が強い人だと、いくら自分がアプローチしてもその子がそれを達成できないことからそこにイライラや怒りを感じる場合もあります。
そうなるとその子には、それが自分に向けられる「否定」として感じ取られます。
それはその子の持つ意欲や自信を下げ、かえってその子がそのものごとを達成できるようにすることをはばんでしまいかねません。
また、その子の保育者に対する信頼感も低下させることになります。
「子供を○○できるようにしなければ」という大人の見方は落とし穴を作りやすいのです。

「子供は必要なことを身につけたり達成したりする力はすでに持っているが、個々の子供によりそれが表れる過程は違う」ということを保育士は専門性のひとつとして身につける必要があるでしょう。

保育園が幼稚園や小学校と大きく違うのは、そこが「勉強(学び)の場」ではなく「生活の場」であるという点です。

保育施設は、家庭に代わり生活や成長を担う場としてあるわけですよね。
「学び」のおまけや、その準備段階として「生活」があるわけではありません。
「生活」が前提としてあり、そこについてくる形で「学び」やなんらかの「成果」があるわけです。

そして、子供の成長は大人が作り出すのではなく、さまざまな経験に下支えされて形成されるものであるわけですから、この生活の部分をムリのない形で安定的に継続させるだけでも子供はたくさんのことを獲得できることを保育士は認識し意図していくとよいでしょう。

誤解を恐れず少し極端な言い方をするとすれば、
「子供は何かを獲得させようとせずとも、日々の生活を無難に送るだけで必要な成長を得ることができる」ということです。

つまり、大人が過干渉に「ああしなさい、こうしなさい」を頑張るよりも、子供が屈託なく安心、安定して過ごすことができる日々の環境を用意してそこで自主性や主体性に任せる方がはるかに無理なく健全に成長できるということです。
これが「生活の力」です。

心を育てる


前のコラムでもお伝えしたように、これまでの保育はこの保育の二階部分を主としてそこ作るために、一階部分を整えてきたという傾向があります。
現在の家庭や子供のあり方は、かつてのそれよりも難しくなっていることは、これはもう現場で接する保育士のみなさんが実際に強く感じているところではないかと思います。
これからの保育は、二階部分を立派に作ることよりも、あまり派手さのない一階部分こそを大切にしなければならない時代に来ています。

そして、その一階部分を安定させていくためには、さらにその土台になる部分、目にはなかなか見えない建物の基礎のところがとても重要になっています。

では、その基礎とはなんでしょう?

例えば、親の好意的な関心が薄いために他児に意地悪を重ねている子がいたとします。
その子に「意地悪はよくないことです。意地悪するのはやめましょう」といったアプローチをして、それで改善するケースならばそれでもいいでしょう。
しかし、そればかりではありませんよね。
そのように注意を繰り返したりまたは叱ったりすることで、その保育士の前ではやらなくなったとしても、別のところで別の形で出すようになったり、大人から見えないようにするだけだったら、それは保育士の自己満足以上のものにはなりません。

この子に必要なのは、育ちの土台、基礎の部分に手を当ててもらうことです。
それはつまり「心を育てる」ことです。

「意地悪をするのはよくない。直さなければ!」と反射的に型にはめる方向で考えてしまうのではなく、

「この子はいまそういう姿がでているんだな。では、どうして意地悪なことをせずにはいられないのだろう?」と、その子に寄り添う姿勢になってその子の持つ問題をとらえてみます。

そのように子供を見てあげることでその子に足りないもの、必要なものがわかってくることでしょう。
僕はそれを「援助の視点」と呼んでいます。

そして保育士はその子の成長の土台を安定したものにしていってあげます。
基礎を安定させれば、一階部分である「生活」が安定してきます。

基礎が安定していない子に、生活における必要なことの要求ばかりしていけば、保育は力技の保育、つまりは管理や支配の保育になりかねません。

子供の成長の基礎である、心・情緒の部分をできるかぎり整えてあげ、生活を安定させていけば、子供は自分の持つ力で必要な成長をどんどん獲得していきます。

成果の輝かしい保育の二階部分ばかりを見ていては、子供の本当の成長を保障してあげることはできないのです。
だから僕は「保育は下から上へ作っていく」と考えています。

子供の自主的な成長から見える個性

さて、そうやって子供の心や情緒の部分を整え、生活を安定させて日々を送っていくと、今度は子供の個性が見えてきます。

いともたやすくなんらかの発達段階をクリアしてしまう子と、それに時間のかかる子とがいます。
「早いからいい、遅いから悪い」というものではないことは、保育をきちんと学ぼうと思っている方にはおわかりのこととは思います。
しかし、そうであってすら「○○をできるようにしなければ」と子どもの成長を上から考えてしまうと、焦ったり、その子を肯定的にとらえられなかったりする原因となります。

個々の違いが当然のものとしてあることを頭でも実際の関わりでも理解してあげられると、子供の育ちを「待てる」ようになります。これは言い換えると「子供を信じられる」ということでもあります。
これについてはまたの機会に詳しくまとめたいと思います。

というわけで、子供の日々の「生活の力」を理解し尊重してあげること、そしてそのために保育士のできることとして「子供の心を育てること」へ手をさしのべるというお話でした。

 
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コメント

  1. プロフィール写真

    さおりんさん(2017年3月28日)

    保育は2階建て、まさしくそうですね。何かをできるようになる事が良いという考え方に納得できない自分でしたが、このコラムを読んで腑に落ちました。

  2. まもるんさん(2017年4月9日)

    内容はいいのですが、何か一番上のイラストが動くので画面も動いて超絶読みにくいです。

    • プロフィール写真

      ほいくらいふ運営部さん(2017年4月12日)

      >まもるん様
      お知らせありがとうございます。
      状況を確認できればと思いますので、よろしければどういう状態なのか教えていただけますと幸いです。

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この記事を書いた人

保育士おとーちゃん(須賀義一)
1974年生まれ。公立保育園勤務の後に退職し、現在は子育てアドバイザーとして講演、執筆活動を行なっている。従来の子育てを見直し、個々を尊重した関わり、子育ての仕方を提案している。 二児の父でもあり、保育士としての経験を生かした子育てブログ『保育士おとーちゃんの子育て日記』が多くの人の支持を得る。難しくなりがちな現代の子育てを具体的に楽しいものにしていける方法を提案している。著書に『保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て」』(PHP研究所)がある。→著書『保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て」』(PHP研究所)はこちら →ブログはこちら
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