信頼関係の築き方~大切なプロセス「受容」とは?~


前回は、信頼関係を築いていくポイントをお伝えしました。保育士はその信頼関係を築くエキスパートになってもらいたいと述べました。
前回の記事はこちら→『子供と信頼関係を築くには』
なぜ「信頼関係」が重要なのか?
僕は、保育士が意識的に”子供と信頼関係を築くこと”ができるようにならなければ、これからの保育は大変危ういものになってしまうだろうと考えています。なぜなら、一昔前の時代と現在とでは、家族のあり方・家庭のかたちなどが大きく変わったからです。
極端なことを言ってしまえば、かつての保育ではことさら子供との信頼関係を意識する必要などあまりありませんでした。保育士が園でせずとも、家庭の養育力、養育環境、大人の側の精神的・時間的余裕などさまざまなものが、自然と子供に「大人を信頼すること」を身につけさせることができていたからです。
家庭から保育園に入園してくる子供が、甘やかされていたり、過保護だったり、経験不足だったりして幼いことはあるにしても、「大人を信頼する」という点では多くの子がすでに獲得した状態で入ってきました。または保育園に通いながら、家庭でも家族との間に信頼関係を育むことが自然とできていました。
そのため、一斉保育をしたり集団での活動を要求したり、学芸会や発表会のためになんらかの芸を身につけさせることが、さほどのハードルもなく可能だったのです。また同様に、きまりごとを守らせる、”しつけ”をすることもさして問題なく可能でした。そして、そういったことが保育の大きな柱であると考えられていました。
しかし、保育士がそれらを園ですんなりできていたのは、「家庭(親)が子供に”大人全般への信頼関係”を持たせてきてくれた」からなのです。なので、かつての保育士は文字通り「先生」でした。しつけであるとか、ルールといった、なにごとかを”教え込む”ことが役割になっていました。園も、”集団”を重視するなど「家庭」よりもむしろ「学校」に近い存在でよかったのです。
現在は…
いまの時代はすでにそうではなくなっています。
女性も男性と同じに働くようになり、ある程度の余裕があるといったことは過去のものになっています。女性が望まれていること、受けてきた教育なども、男性のそれと変わりありません。
核家族が当たり前となり、子育てに祖父母など身近な家族のサポートを得られるといったことも少なくなっています。地域社会が、子育てを自然と手助けしていたような環境ももはやありません。
あたたかな雰囲気の家庭でのんびりと過ごすよりも、小さいうちから「早期教育」や、たくさんの「習いごと」などの過剰な要求をされて余裕がなくなっている子もいます。
このような状況で、信頼関係を築けておらず、人との関わりに心地よさを感じていなかったり、不安が強くて情緒が安定していなかったり、慢性的に満たされない気持ちを抱えておりネガティブな行動が多発している子供などが非常に増えています。
そういった子がクラスのほんの一部であるならばまだしも、多数になってくれば、かつてと同じように集団での規律ある行動を要求したり、何かものを教え込むことなどを最初から子供に求めていくのはとても難しくなってしまいます。
地域などによっては、現在でものんびりしており、余裕があってこのようになってはいない所もあるかもしれませんが、少なくとも都市部ではそのような子供たちの姿がもはや珍しいものではありません。
保育士は意識を変えて…
時代の変化から、保育士はかつてのように「信頼関係を持ってきてくれるのが当たり前」であったところから意識を変えるべき段階に来ています。
「信頼関係を持ってきてくれるのが当たり前」という感覚を保育士が持っていると、素直に大人に従えない子や、攻撃的な姿のでる子、集団行動に参加したがらない子などを、「言うことが聞けないこの子が悪い」といった否定の見方でその子をとらえてしまったり、「家庭できちんとこの子をしつけていない親が悪い」というように、子供の不適応な姿を子供や親のせいにしたりと否定の方向で考えていく状況になりかねません。
そのようになってしまっては、現代の保育士として専門性が高いとは決して言えないのです。保育士は、子育ての専門家として、家庭や親だけでは不足してしまう部分を補ってあげるところからスタートしなければなりません。
また、同時に家庭でもそのような関係が作れるように、子育ての知識を伝えたり、そのサポートをすることも、あらためて保育士の役割として再認識する必要が出てきています。
家庭支援・子育て支援の役割ですね。
「信頼関係」は「受容」がつくる
では、その信頼関係を築くために、必要なことはなんでしょう?そのとても大切なプロセスは「受容」なのです。
これからの保育士は、これまで以上にこの「受容」を理解する必要があります。「受容」とは、ちょっと難しい言葉ではありますが、保育士ならば耳にしたことはあるのではないかと思います。
人間の子供は、「大人の保護を前提としたとても未熟な状態で生まれてくる」という話も、同様に保育の勉強をした人は必ず学んでいることでしょう。ポルトマンの『生理的早産説』ですね。
人間の子供は、確かにとても未熟な状態で生まれてきます。目もあいていなければ、立つこともできません。大人の保護がどうしても必要なわけです。
ですから、子供は大人に守られていたり、大人からの関心を感じたりすることで安心したいといった強い欲求があります。一般に「甘え」と言われるようなものも、根っこをたどるとそういった生物としての切実な欲求があるわけですね。
そういった「甘えを受け止めてもらうこと」や「自分へのあたたかな関心を実感すること」が、子供が安心・安定するためには必須のこととなります。それらが基礎となって、毎日を安心して過ごしたり、さまざまな経験をしたり、その発達段階での成長を得ていくわけです。
もし、それがその子に足りない状態であれば園での集団での行動や、何かを教え込むといったことはもちろん、自身の成長発達を進めていくこと自体も難しくなってしまいます。(たとえば、排せつの自立など心の成長や安定を前提とした発達など)
「信頼関係」は、この受容の積み重ねや、日々の生活の中であたたかな関わりがあることで厚く築かれていきます。
保育を見直すきっかけに
かつての日本の子育てでは、「受容の積み重ね」や「あたたかな関わり」のプロセスがさして意識しなくても自然にできていました。しかし、現在ではそれが難しい状況となっています。ですから、保育士はそのプロセスを意図的に行う必要があります。
それは場合によっては、保育全体を見直すきっかけになるかもしれません。
たとえば、子供たちを集めて朝の会をしている園で、かつてはそれが無理なくできていたところでも、「受容」が不足して信頼関係が築かれていない子供が多くなってきたとしたら、それが同じようにはいかなくなってしまいます。
もしそうなると、保育士の話を聞かずに騒いでいる子や、大人の注目が欲しくてわざと茶化したりする子、座っていられずにあちこち立ち歩いてしまう子、走り出してしまう子などが出てくることでしょう。
それをかつての保育の視点で、「話を聞けるようにしなければ」「参加できるようにしなければ」と「○○できる」を第一に考えていくと、子供のそういった姿を注意したり、連れ戻したりすることばかりが増えていきます。
それが受容や信頼関係の過不足がない子に対してであれば、さして問題ありませんが、そうでなければそれは単なる「押さえつけ」を強めていくだけになってしまいます。その子たちにはいくら「押さえつけ」をして、「できる姿」を作り出したところであまり意味はないのです。それは保育士の自己満足にしかなりません。
「押さえつけ」によって姿を作り出せば、子供はどこかで反動をだしてきます。園生活の別のところや、他の子供とのトラブルという形で出すかもしれません。または、家庭に帰って親へのゴネとして出していくということなども少なくありません。
その子たちが、朝の会に参加できないことの原因は、「しつけが足りない」とか、「訓練が不足している」といったことよりももっと根深いところにあるわけです。現代の保育は、その根っこの部分からケアしていくことが必要になっています。
そんな状況で注意を重ねながら朝の会を続けるくらいならば、それこそ園庭や公園に行って、そこで追いかけっこでもした方がよほどクラス全体が安定する方へ持っていくことができます。
マイナスの関わり・プラスの関わり
子供は、大人に追いかけられることが大好きです。なぜなら、自分が大人に注目されているという強い実感を感じることができるからです。それは、その子が不足している「受容してほしい」という欲求を満たすことにつながります。
その追いかけっこをして「楽しい」という実感を持てれば、それをしてくれた保育士への信頼関係を高めていきます。それが十分に確保された後であれば、”大人が話をする間、座って注目して聴ける”といったことも自然と可能になることでしょう。
またたとえば、他児へのいじわるな関わりが多い子がいたりすると、そのたびにダメ出ししたり、叱ったり、注意したりといった「マイナスの関わり」で応じてしまいがちですが、その子が大人との間に受容や信頼関係が不足した子であれば、どれほど強くそれを繰り返したところで、その対応の結果の最大値は「注意する人がいる前ではやらない」というところでしかありません。つまり、これも「押さえつけ」に過ぎないのです。
その子には、その注意が受け入れられるだけの、人への「信頼関係」がそもそも不足しているのです。「マイナスの関わり」を繰り返すだけでは、それをさらにすり減らしていくだけになりかねません。
大人が注意した時にそれがその子の心に響くためには、その子を笑顔であたたかく受け止めたり、かわいがったりする「受容」という名の「プラスの関わり」がどうしても必要なのです。
援助の視点で子供をとらえていく
注意やダメ出しをするだけで済んでいたのは、かつての保育なのです。これからの保育では、「信頼関係」をつくることやその基礎にある「受容」のプロセスを意識して行う必要に迫られてきています。
しかし、それをすることはけっして難しいことではありません。しかし、「できること」を是として、「できないこと」を非としていたような、これまでの子供の見方ではなかなかそれはできません。子供の「できないこと」すらも包括して認めて、まるごと受け止めるといった「援助の視点」に立って子供をとらえていくことが大切になってくることでしょう。
僕の著作の『保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て」』(PHP文庫)では、この「受容」を中心に取り上げています。
保育においてと同様、これまでの日本の子育てでは「受容」のプロセスが明確ではありませんでした。それが、子育てのさまざまな難しさを引き起こす原因となっています。そのため、そこを解決するために家庭でもできるかたちで「受容」の大切さやその方法を具体的にお伝えしています。
家庭での関わりを念頭に書かれてはおりますが、保育のなかでも参考にできる部分はあるかと思います。
次回は『子供の個性』について、お伝えしたいと思います。
ホエールさん(2016年3月8日)
ここに書いてあることさ確かにそうだとかんじました。
受け入れることで満たされる心、多くあります。
本当に、今は満たされていない子が目立ちます。
満たされた心をつくっていかないと、何も上にのってこないですよね。
子供を受け入れる、共に、今、我が子にしてあげなくてはいけないこと、再認識したように感じました。