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本当の「子供を信じる」とはなにか?

前回の最後に「待てることが子供を信じられること」というお話がでてきました。
今回はそれについて見ていきます。

「心の経験」は目に見えない

なにかでうまくいかないことがあり泣いている子がいたとしたら、みなさんはどうしますか?
そこにいろんな関わり方があるとは思いますが、多くの大人は「なだめてあげよう」「泣き止ませてあげよう」とアプローチします。

それが必ずしも悪いわけではありませんが、保育士が専門的な関わりとしてするとしたらそればかりではありません。
むしろ、それは専門的とは言えない関わりになってしまうかもしれません。

子供が泣いている → 保育士がなだめてあげる →子供が泣き止む

というアプローチは、場合によってはそれが必要なこともあるけれども、保育士が目指すべきなのはそこではありません。

なぜなら、このアプローチではどれだけうまくできたところで、子供が「主体」ではないからです。

ひとつたとえ話をします。
子供が学校からもらってきた宿題を親がやってあげたとしたら、そのことは子供のためになっているでしょうか?
これはみなさん「それでは意味がない」「子供のためにならない」と思うことでしょう。

いまのお話の泣いている子供を大人がなだめて泣き止ませてしまうことも、実はこれと同じなのです。

子供はさまざまな経験をして成長していきます。
その経験の中には、遊びやなんらかの取り組みといった具体的なものもありますが、「心の経験」もたくさんあります。この「心の経験」は目に見えないだけに見過ごされやすいです。
しかし、保育士は子供の成長に対する専門家ですから、ここもきちんと見据えていかなければなりませんよね。

「介入しない」という援助

子供がなにかでつまづいて泣いているとき、そこには「葛藤」という心の動きがあります。
なにか子供が受け入れがたいことがあったとき、その状況を消化しきれずに「泣く」という行動を子供はとります。
ごく小さいとき子供の心の力はまだ未熟なので、自分でそれを乗り越えられなかったり、高ぶってしまった感情をコントロールして収めることが上手にできません。
その発達段階や、そういう傾向の強い個性を持っている子にであれば、大人はそこを「よしよし」となだめたり、泣き止ませてあげることもケースによっては必要です。

しかし、それはずっとそのままでいいのではなく、年齢の増加や発達に応じてそれを子供が自分自身でだんだんとできるようになっていく必要があります。
保育士はここに専門的な援助をすることが重要です。

ではそのためになにができるでしょうか?

まず必要なのは見極めです。
その子がそのものごとを自分で乗り越えられることなのかどうかを判断します。
どうしてもそれは無理だろうと思われるとき以外は、すぐになだめてしまうのは待ってみましょう。

「この子には無理かもしれない。でも、できるかもしれない。じゃあとりあえず自分でやらせてみよう」でいいのです。

「この子には無理かもしれない。だから私がなだめてあげよう」
この関わりは親切のように見えるけれども、専門性をもった保育士としてはいまひとつなのです。
そればかりを一生懸命やってしまうと、このアプローチは「心の過保護」になり、子供の大人への依存心を高め自立心の成長をはばむことになりかねません。

現代の保護者の多くが、こういった優しいけれど子供に過保護過ぎる関わりをしてしまうことによって、かえって子育てを大変なものにしてしまっています。
専門家である保育士がその轍を踏んではなりませんね。

その間の保育士のアプローチは具体的には「見守り」です。
極端に言えば、かまわずに放っておけばいいのですが、その姿勢は放置でも無視でもなく「あたたかでおおらかな見守り」なのです。

「この子は自分で立ち直れないのではないか」このようにハラハラと心配しながら待っていたとしても、子供は大人のその不安感を感じ取って心強くなれません。

「この子はできないかもしれない。だけどできるかもしれない。できなかったらそのときは受け止めてあげればいいんだ~」くらいに気楽に見守ってあげると子供は自然とそちらの方に進みやすくなります。

こういった心持ちで見守ってあげることが、ここでできる保育士としての最大の専門的なアプローチなのです。
周りから見たら、その保育士はなにもしていないように見えるかもしれません。
しかし、この「なにもしない」ことによって保育士はその子の成長への最大の援助をしているのです。

子供を信じる

これができるためには、その保育士が「子供を見る視点」(子供観)としてひとつの重要なことを理解して習得していなければ、この「あえてなにもしない」という最大の援助の関わりをすることができません。

それはなにかというと、「子供を信じる」ということです。

「子供が泣いている。さあ、なだめなければ」とすぐに過保護・過干渉になってしまう人は、その人自身気づいていないかもしれませんが、子供を信じられていないのです。

「きっとこの子は自分ではできないよね」という子供を低く見る決めつけがそこには存在しています。
もちろん、悪意があるわけではないのですが。
しかし、このように大人がその子の上限を決めつけるような見方をしてしまえば、子供は伸びづらくなってしまいます。

「なにもしないで見守れる」
その背景には、子供の力を信じることができるという保育の専門家としてのしっかりとした理念の理解と、それを実践に反映させられるだけの習得というとても高度な専門性があるのでした。
このことが本当の意味での「子供の尊重」につながります。

一般的には、「子供を大事にすること」「たくさん手をかけること」が「子供の尊重なのだ」という理解をされており、実際的にはそれは行動面や心理面への「過保護・過干渉」として反映されてしまっています。

こういった形での「子供の尊重」の理解は、専門的な保育としては誤解と言えるでしょう。
保育者は子供の結果を作り出すのではなく、それを子供自身が自分でできるように過程に援助してあげることが必要なのです。

保育以前に、現代の子育ての形がこういった過保護・過干渉がスタンダードなものとなってしまっており、保育者もその延長線上での理解をしてしまっています。
ですから、このような援助をしようとしても、最初の内はこういった子供の目に見えない力を伸ばしていく取り組みは難しく感じることも多いでしょう。しかし、これを保育として身につけられるとそこから伸びていく子供の成長の姿や、子供にとって自分を信じてくれる保育者に対するその子の信頼感の大きさなど実感できるだけの変化が表れてくることと思います。

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この記事を書いた人

保育士おとーちゃん(須賀義一)
1974年生まれ。公立保育園勤務の後に退職し、現在は子育てアドバイザーとして講演、執筆活動を行なっている。従来の子育てを見直し、個々を尊重した関わり、子育ての仕方を提案している。 二児の父でもあり、保育士としての経験を生かした子育てブログ『保育士おとーちゃんの子育て日記』が多くの人の支持を得る。難しくなりがちな現代の子育てを具体的に楽しいものにしていける方法を提案している。著書に『保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て」』(PHP研究所)がある。→著書『保育士おとーちゃんの「叱らなくていい子育て」』(PHP研究所)はこちら →ブログはこちら
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