保育士おとーちゃんが教える「子育て・保育が大変にならないように」


“言うことを聞く子”を作り出さなければならないという”子育て”
多くの大人が、子育てのなかで勘違いしていることがあります。そして、それは保育士も例外ではありません。
なにを勘違いしているかというと、「子供を大人の”言うことを聞く子にする”ことが”子育て”だ」と無意識に考えてしまっていることです。
このことが、日本人の頭には大きな先入観としてあって、子供への関わり方をゆがませ、かえって難しいものとしてしまっています。
どういうことかというと、例えば、日本人は”子育て”と言ったとき、「ああ、それは”しつけ”のことだろう」と考える人が少なくありません。
多くの人が当たり前に”しつけ”という言葉を使うわりには、「じゃあ、しつけって具体的にはなにとなにとなにをすることですか?」と質問されたら、明確に「これこれこうです」と答えられる人は、そうそうおりません。
当たり前のごとく使われている”しつけ”という言葉なのですが、これは「こうです」とはっきりかたちにできるようなものではなくて、実は”非常に漠然とした大人が子供に求める規範の集合体”でしかないのです。
つまり、それは大人が子供に求める、
- 「〇〇をしてはいけない」
「〇〇をすべき」
「〇〇ができるようになるべき」
といったたくさんの要求のかたまりです。
それらは例えば、
- 「人の集まるところでは騒いではいけない」
「人見知りをしてはいけない」
「どこどこでは静かにするべき」
「あいさつができるようになるべき」
「早くにおむつがはずれるべき」
「早くにおっぱいがやめられるべき」
「友達と上手に遊べるようになるべき」
「モノの貸し借りができるようになるべき」
「お箸が上手に使えるようになるべき」などなど…。
数限りないほどの、大人から子供への「ああしなさい、こうしなさい」といった要求の連続なのです。これらはつきつめて集約すると、「子供は大人の言うことを聞けるようになるべき」ということになってしまいます。
一般の子育てする人は、その多くが漠然と、「子育てとは子供を大人の言うことをきかせることだ」と考えてしまっています。祖父母世代の人たちにになるとそれはなおさらです。保育士も少なからず例外ではありません。
たくさんの過干渉を生むことになる
「子育てとは子供を大人の言うことをきかせることだ」と子育てを考えていると何がいけないかというと、それはたくさんの”過干渉”を生むことになります。
- 「ああしなさい」
「こうしなさい」
「それはダメ!」
「はやく!」
子供を大人の意図に従わせるための、たくさんの干渉で一日が埋め尽くされます。
大人は、くどくどと何度も同じ小言を繰り返したり、それで従わないから大きな声を出したり、怖い顔を子供に向けて言うことを聞かせようとしたり…。従わなければイライラするので、感情的に怒ることが増えてしまったり。
これが慢性化してしまえば、日々の子育てはとてもとても大変です。
いま多くの親が、このために子供を見たくなくなりつつあります。”過干渉”はすればするほど、子供は従わなくなるからです。
家庭でもそのようになってしまっているケースがたくさんあります。「言うことを聞かせるつもり」が、かえって「ちっとも言うことを聞かない子」を作り出してしまっているのです。
しかし、そういった「規範を求めるたくさんの過干渉こそが子育て」と先入観で長いこと考えられてきてしまっているので、「子供って、そのように言うことをきかないものだ」という見方すらできあがってしまっています。それは、「子供の力を軽視する」ことだと僕は考えています。
子育てで叩くことはなくなっても…
「子供は大人の言うことをきかないものだ。だから厳しくすることが必要だ。ときには叩くことも必要だ」というのが、これまでの日本の子育てのスタンスでした。
いまの人は「叩くことはよくない」と考えていますから、叩かなくはなっています。
しかしその代わりに、”モノで釣って”子供に言うことを聞かせようとしたり、”脅す”ことで言うことを聞かせようとしたり、スマホや携帯テレビゲーム機などを使って、とりあえず大人の望む”静かに待っている”という状態を作り出そうとしたり…。
しかし、そんな裏口の手段を使ったところで、子育てや子供の姿がうまくいくわけはありません。多くの人が子育てで迷走してしまっています。
保育園でも同様のことが起きている
保育園でも、同様のことが起きています。
とにかく、保育士が大きな声をあげて、子供にとるべき行動をさせようとしたり、冷たくあしらい子供の疎外感を刺激することで、子供を大人に従うようにもっていこうとしたり。脅しや釣り、おだてを使って子供を大人の意図に合わせることばかりがうまくなったりしています。
いまでもしばしば、「先輩保育士から、”優しい顔を見せて、子供になめられるな”と指導されました。毎日、子供に向かうときピリピリしていて、保育が少しも楽しく感じられません」といった相談を若い保育士の方から受けます。
本当に悲しいことに、日本人の子育て観は多くのあやまりを含んだまま、ここまできてしまっています。
“手は心でつなぐ”
前述の、「子供になめられるな」という保育士は、子供を誘導するときに怖い顔をしながら、”従わないおまえは悪い”という雰囲気を振りまきつつ、子供の手首や、二の腕をつかんで動かそうとしていることでしょう。もしくは、身体ごと持ち上げてまるで荷物かなにかのように動かすことを多用してしまっているでしょう。
こういった様子は、日本の子育てがこれまで無意識にやってきた、「子供を大人の”言うことを聞く子にする”ことが”子育て”」の行き着いてしまった弊害の端的な姿ではないかと思うのです。
- 子供に言うことを聞かせなければ
↓
たくさんの過干渉、厳しい関わり
↓
大人の関わりをスルーするなどという大人への信頼感の低下
↓
より厳しい関わり、過干渉
↓
聞かないから物理的に対応してしまう
はっきりいいます。
これは子育ての方向として間違っているのです。
こういった子供に冷たい雰囲気を醸し出して言うことを聞かせたり、厳しくすることで思い通りにしたり、そういったことが保育と考え、そのスキルばかりがうまくなった保育士が、いざ我が子の子育てをしたときに、このように習い性になってしまった関わりを家庭でたくさんしていくと、あっという間に子供は難しい姿になってしまいます。
子育て・保育の目標
子育ての目標。保育の目標は、”子供を言うことを聞かせること”ではないのです。
その目指すところは、“子供が自然と大人に寄り添ってきてくれること”だと僕は思います。
その子供が、その大人を信頼していなければ、その子は手を一緒につないで歩いてはくれません。誘導しようとしても、それに従おうとはしません。
“子供を従わせなければ”という先入観を持っている人は、それはよくないことだと無意識に考え、手首をつかんで無理やり引っ張ってきます。
実際はそれをやれば、子供はさらにその人への信頼感を低下させます。これは保育士だろうと、実の親だろうと同様です。
だんだんと年齢が上がり、自我が発達し、行動力も身につき、身体も大きくなれば、なおさら子供は従おうとしなくなります。
そうなると、大人は子供を怒ったり、叱ったりの連続で言うことを聞かせなければならなくなってしまいます。こうなると、子育てや保育がとても大変な悪循環におちいります。
手は手でつなぐのではない
本当は、手は手でつなぐのではないのです。
子供は本来大人を信頼しています。
その大人が大好き、その人に寄り添いたいという気持ちを適切に育んであげれば、子供は向こうから大人の側にいることに心地よさを感じます。
そうすれば、逃げる子供をつかまえておくために、ことさら強くつかむ必要などありません。
子供にも個性がありますから一概に言えるものでもありませんが、1~2歳の子に向けて、人差し指を一本伸ばすと子供は自分からそこをつかんできます。
そうして、大人も笑顔で子供とともにいることがうれしいと感じていれば、さらに子供はその大人を信頼するようになります。
そうやって信頼関係を厚くする積み重ねをしていけば、その子は3歳4歳5歳になっても、「子供だからどうせ言うことを聞かない」という姿を出すことはそもそもなくなります。
手は心でつなぐものなのです。
子供は”従わせる”のではなくて、”寄り添わせる”ものなのです。
うまい保育士は、自然とこれを身につけています。もしくはもともとそういう性質をもった人が保育士になったのかもしれません。
子供を冷たくあしらって思い通りに動かすことがうまくなっても、それは子供を抑圧して言うことを聞かせているだけで、少しもうまい保育ではありません。でもそれを長年してきてしまった人は、それがうまい保育だと考えているかもしれません。
でも、そうやって抑圧されて園内で日中言うことをきかされている子は、きっと家に帰ってその抑圧されたものを噴き出して親を困らせているはずです。
園の子供たちと信頼感を築いて日々を過ごす保育ができると、保育の仕事は本当にとてもいいものですよ。
じゃあ”どうやってその信頼感を築けばいいのか”が、問題になってくるわけですが、それはまたの機会に。
ヒントだけあげておくと、以前紹介した「くすぐり」のお話しの中にあります。
「くすぐり」のお話しは下記記事にあります。
前回の記事『子育てが難しい今保育士に求められること~保育士おとーちゃんのコラム~』
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